柳宗理 民芸とカトラリー
柳宗理 (敬称略)というデザイナーがいました。このサイトの記事「河井寛次郎記念館」の中で書いた民芸の創始者の一人、柳宗悦の長男。
彼は東京美術学校(現東京芸大)で洋画科に学んでいましたが、バウハウスの留学から帰ってきていた建築家の水谷武彦の講義で機能主義(ファンクショナリズム)やル・コルビュジエを知り、デザインに引かれることになります。特にコルビジェの影響は大きく、1934年のことです。
一方、子供の頃から父の影響でバーナードリーチや浜田庄司の器や日本各地の民芸品の中で暮らしていました。
これにより、機械や科学を基にした「機能主義」と手仕事を基にした「民芸:アノニマスな用の美」、一見相反するようですが、共に社会のために存在する。という「想い」を持つことになります。
その後商工省(現経済産業省)を経て坂倉準三建築研究所に勤め、1943年に陸軍に召集されます。終戦後1950年に柳宗理デザイン研究所を開設。1955年には金沢美術工芸大学産業美術学科教授に就任。様々な分野で、今も残る素晴らしいデザインを生み出していきます。
そんなデザインの一つに、膨大な種類のカトラリー(食卓用のナイフ、フォーク、スプーンなどの総称)やキッチンウエア群があります。
機能性やデザインはもちろんパッケージや販売体制、サポートまでもが理想的な形で今も存在している、素晴らしい代表作だと想います。
(詳細やその評価については、どこかで紹介することになると思いますが、下記の佐藤商事株式会社のサポートのリンクを見ていただくと、概要が掴めると思います。)
カトラリーやキッチンウエアは佐藤商事株式会社がデザインを依頼、日本洋食器株式会社等々多くの工場が関わっています。1974年に販売を開始し柳宗理が没した今もなほ製品をサポートしている姿はデザイナーとメーカーや販売関係者の数少ない幸せな姿といえます。いつまでも続いてくれることを願います。
柳宗理は2011年に96歳で亡くなりますが、国内外のデザイナーにも多大な影響を与え、今もなほそのデザインは生き続けています。
ちなみに柳宗理デザイン研究所は、財団法人柳工業デザイン研究会となり活動を続けています。